ゲンロンカフェ「Winnyと金子勇が見た未来」、そして映画「Winny」を観て感じたこと(1):生成系AI時代の今こそ、輝くべき人だった

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今回は、ゲンロンカフェ「Winnyと金子勇が見た未来」、そして映画「Winny」を観て感じたことを書いていきたいと思います。Winnyについての技術的な深い話や、その発展性については、ゲンロンカフェ「Winnyと金子勇が見た未来」の本篇や映画の中で語られていますので、それらの部分は割愛した、あくまで個人の主観的な感想となります^_^;

ゲンロンカフェ「Winnyと金子勇が見た未来」では、金子勇さんの親しみのある人となりや、本来の惜しまれる才能などが、当時の時代背景を思い返しながら、多層的に捉えられ、より立体感のある金子勇さんの実像を掘り起こしています。

金子勇さんも思わず参加したくなるだろう、そんなトークセッションでした^_^

映画「Winny」は、2004年から2011年に掛けて日本で実際に起きてしまった、ファイル共有ソフトWinny開発者である金子勇さんが被った冤罪とその顛末、そして当時の社会的状況を描いた物語です。

Winnyの上映情報はこちらです。

一番共有したい情報:研究者・技術者としての金子勇さんの姿

一番最初に共有したいのは、本来の研究者・技術者としての金子勇さんの姿です。

映画では、純粋で素朴で、ちょっとコミカルな研究者・技術者が、世相に翻弄され続ける姿が痛々しく強調されています。それは実際に起こってしまった残酷な事実ではあるのですが、一方でこの動画では、非常に高い専門知識と実装能力を兼ね備えている、極めて優れた研究者・技術者であることが見受けられます。

少しマイペースなところも、逆に愛嬌と親しみやすさを感じますし、カジュアルな講演の場というのもありますが、とても活き活きとしていますね^_^

2009年の講演(2013年Youtube公開)ですが、この時の講演内容は、現在のAI技術(ディープラーニング)の中核であるニューラルネットワークや強化学習の学習アルゴリズムに対して、一般的な手法である誤差逆伝搬法(BP法:バックプロパゲーション)ではなく、独自のアルゴリズムである誤差拡散法(ED法)について提案しています。

動画の最後の方では、映画でも少し出てきたデモも紹介しています。

「実はインターネットのネットワーク周辺のことは、あまり詳しくなくて、本当の自分はシミュレーション屋なのだ」という言葉が、とても印象的に残りました。

当時だけでなく、今の時代でも最も必要な人材だったんだな、と感じました。

このような貴重な動画を残してくれた清水亮さん(shi3z)に、本当に感謝です。

ED法(誤差拡散法)議論の進展について(2024/05/03追記)

ゲンロンカフェにて、動画公開を再開してくれたからだと思いますが、改めてED法についての考察が深まっています。本当に素晴らしい連鎖だと感じております!

とても活発なので、ブログを分けました^_^

学習理論:誤差拡散法(ED法)アルゴリズムのキーワード

講演内のキーワードの箇条書きです。

  • 誤差信号を逆伝搬するのではなく、ネットワーク全体で共有
  • ニューラルネットワーク構成:2種類のニューロン(興奮性ニューロン、抑制性ニューロン)、2種類のシナプス(興奮性シナプス、抑制性シナプス)
  • 最終層出力を上げる:重みの変化方法を制御
  • 中間層ニューロンを増やせば増やすほど学習性能が向上(学習速度、汎化能力)
  • 実際の神経系により類似した構造
  • BP法の上位互換(?)
  • 強化学習への適性が高いのではないか?

「なぜ金子さんがWinny開発を進めたのか」の理由について

善悪については「無罪」確定した裁判結果もありますので、ここでは言及せず、開発を進めた理由について考えてみたいと思います。

開発を通して多くの人とコミュニケーションする、という純粋な楽しさが原動力になっていた

当時、本来の金子さんの脅威的な能力を発揮する専門的なテーマというのは、一般の人との接点がほとんど期待できないものでした。

そのため、技術的に旬な面白いテーマに対して、2チャンネルの多くの人たちとコミュニケーションしながら、実証実験をすすめ、機能を改善していくことが新鮮で刺激的で純粋にとても楽しい体験だった、というのは極めて納得感のある話だと感じました。

多くの人の関心と反響を集めたWinny開発は、金子さんにとって経験したことのない魅力を持っていた、ということは、容易に想像ができます。

専門性の持つ深刻なデメリット:皮肉な見返りについて

一般に、難問(専門性の高い難解なテーマ)に挑む人は、とても少なく、さらに正解に到達できる人は、さらに少なく、ゆえに正解(実際の凄さ)を分かち合える人は、とても限られてしまう、という事実があります。

これは社会貢献に対する驚異的な成果に比べて、あまりにも皮肉な見返りといえるのではないでしょうか。

またもう一方で、科学者・技術者に対して「コミュニケーション能力が低い」と見做される傾向についてもある種の「違和感」を感じています(コミュニケーションのベクトルが、興味を持っているテーマに偏りがちな部分はあるかもしれませんが)。

コミュニケーションとは

Wikipediaでは、コミュニケーションとは、以下のように定義されています。

”社会生活を営む人間の間で行われる知覚や感情、思考の伝達。あるいは単に、(生物学な)動物個体間での、身振りや音声、匂い等による情報の伝達。辞書的な字義としては、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達、などと定義付けられる。”

ただ、この定義では「一般的な日本の組織・社会上のコミュニケーション」と「科学者・技術者のコミュニケーション」とのギャップについては、理解を深められません。

科学者・技術者と、日本の組織・社会とが、上手くかみ合わない現実

東浩紀さんが発した問い「革新的な才能を潰さないで活かすための現実的な方法には、どのようなものがあるだろうか?」には、刺さるものがあります。

この問題をより深く考え進めるためには「一般的な日本の組織・社会上のコミュニケーション」と「科学者・技術者のコミュニケーション」とのギャップをしっかり理解する必要があるのではないかと考えています。

私は、このギャップの原因は「科学者・技術者」と「日本の組織・社会」とでは「コミュニケーション」に求めるゴール、つまり「成果」が異なるためではないか、と推察しています。

具体的には「科学者・技術者」にとって「成果」とは「ある共通テーマについての理解の深度」であるが、「一般的な日本の組織・社会」にとっての「成果」とは「上下関係、勝敗または善悪への帰結」になるのではないかと考えています。

ただ、これについて書くと、あまりにも長くなり、ブログタイトルともズレてしまうので、改めて書きたいと思っています。

まとめ

東浩紀さんが主催する言論空間であるゲンロンカフェは、AI関連の話題や、三宅陽一郎さんや清水亮さんが登壇するときに、都度課金で観ています。有料ですが4時間以上の対談が観られるので、テーマが合えばコスパは良いのかな、と思います。

「Winnyと金子勇が見た未来」は、清水亮さんがWinny事件の以前から金子勇さんと知り合いで、そのあたりの経緯や、映画にも出てくる担当弁護士であった壇俊光のお話など、喜怒哀楽に溢れた人間味満載のトークセッションでした。

映画とともに、是非ご覧頂きたいです(6時間なので観る時間帯を選ぶかもしれないですが^_^;)。

金子勇さんを偲ぶ気持ちを持ち、またみなさんに観てほしい、思い返してほしい、という気持ちを込めて、敢えて最高のエンタメと言いたいです。

追補

『Winny』映画化のきっかけ

元々、担当弁護士をされていた壇俊光さんが、原作となる著作『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』を記しておりましたが、映画化については、2018年ホリエモン万博「CAMPFIRE映画祭」の企画”映画企画クラファン大会”で、グランプリに輝いたことが発端、とのことでした。

堀江貴文さんにも感謝ですね^_^

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